マグロ(鮪)

マグロはいま日本人に最も好まれる魚でしょう。真っ赤な色合いと濃い風味、小骨のない食べやすさ、そしてその流麗な姿からも魚の帝王に恥じない。今では世界で獲れるマグロの7割は日本人が食べる。野生の資源を維持しながら、養殖生産を発展させることが従来以上に重要な課題となっている。

1.三つの発明・発見
づけマグロ
 シーフードの歴史のなかで,マグロについてはいくつかの画期的発明・発見があった。そのひとつは江戸天保期(1830-1843)に考案された「醤油づけ」であろう。江戸に人口が集中するにつれ魚の需要も旺盛となり,それを満たすために沿岸に「定置網漁業」が考え出された。「江戸前」の魚に混じって定置網に入り込むマグロは何とかならないか。その答えは,単なる塩漬けではなく,保存性を高めながら,魚のにおいを抑え,旨みを引き出す効果のある醤油に漬けることであった。折から,江戸では野田・銚子産の濃口醤油もふんだんに出回るようになっていた。「づけ」はたちまち江戸っ子の人気メニューになった。
すでに文政期(1818-29)には,江戸両国の華屋与兵衛らが,それまでの「押しずし」や「箱ずし」スタイルを脱して,ファストフード「握りずし」を考案していた。当時の町人の気ぜわしさにマッチして,すしの屋台はさながら現代の「回転寿司」のように賑わっていた1)
すし店舗や屋台,振り売りなどでも,小肌,穴子など「江戸前」の豊富なメニューにこの「づけ鮪」も加わり,以来もて余されていたマグロの地位はグンとはね上がった。

マグロの超低温保管
ビキニ環礁においてマグロ漁船が水爆実験に被災した影響も一区切りがついて1960年代に入ると,マグロの人気も再び高まり,近海マグロだけではまかない切れないほど需要が旺盛になった。
ほかの魚に比べてマグロの日持ちは良い。とはいえ,氷詰めにし10日ほどで港に持ち帰っても,その後の賞味期限は3~4日。港から遠く離れた地域では,まだまだ鮮度のよい刺身やすしを味わうことはできなかった。
一方,当時の漁船の冷蔵温度-25℃では,マグロ肉は褐色に変わりはて,とても刺身用に向けられるものではなく,缶詰や魚ソーセージの原料にしかならなかった。
冷凍しても生マグロに匹敵する真っ赤でねっとりした品質は維持できないものか。マグロ肉の褐変といえども化学反応,温度を下げれば反応速度は低下するはずだ。1970年代には,マグロ漁船は冷凍機を改良して保管温度を-30℃に,さらに-40℃へと下げることで,冷凍マグロの赤色は徐々にその保持期間を延ばしていった。
1975年水産庁東海区水産研究所の尾藤方通は,真っ赤な筋肉タンパク質「ミオグロビン」が酸化して褐色の「メトミオグロビン」へ変化するのは-3~-10℃付近で最大であること,そして-35℃に保管すればその変化が抑えられ,メバチでは少なくとも6ヵ月間は赤色保存が可能と報告した2)
マグロ漁船は1975年以降,競って-55℃の超低温冷凍装置に換装し,遠洋漁場に出漁していった。-55℃保管なら喜望峰沖など遠洋漁場から販売店まで,2年間はその品質が維持できる。-55℃以下の「超低温保管」技術は,生鮮マグロと遜色のない「冷凍さしみマグロ」を全国隅々まで届けてくれた。

マグロの完全養殖
 2002年6月,南紀串本町は興奮に包まれた。近畿大学水産研究所のスタッフが世界に先駆け,「クロマグロ」の「完全養殖」に成功したのだ。かねて受精卵から飼育し,6~7才に成長した親マグロが,直径30mの巨大生簀の中で見事産卵したからだ3)
商品価値の高いクロマグロの資源が減少している。その7~8割を消費するわが国にとって,「野生資源」を維持しながら永続的に漁獲を続けていくのはもちろん,不足分を「養殖」によって補うことは不可欠である。
産卵後の痩せた天然魚やまた幼魚を生簀の中で餌を与えて飼いつけ,丸々に太らせた「蓄養マグロ」が地中海沿岸や奄美から市場に入ってくる。少し柔らかな舌触りながら,油が乗っていておいしい。しかし蓄養マグロいえども元は天然魚,やはり数に限りがある。
近畿大学熊井英水らの32年にも及ぶ地道なマグロ養殖研究,すなわちデリケートなマグロの習性と行動を制御し,稚魚から成魚まで育成段階に応じて餌料を開発した「完全養殖」の業績は,21世紀初頭における水産科学の快挙でああった。

2.さしみマグロ
マグロの解体
生鮮マグロは数種の専用包丁を用いることで「さく」まで解体される。では50kgも100kgもあるカッチンカッチンの「冷凍マグロ」はどのようにして解体されるのだろうか。
-55℃に保管されていたマグロは工場に持ち込まれると,凍ったまま頭や鰭が取り除かれ,背骨を軸に縦4本に電動のこぎりで切り裂かれる。次いで皮をはぎ,背骨,肋骨,血合肉を電動グラインダーで削り取り,包装トレーの長さにあわせて約16cmに切り分けていく。さらにこれを6cm幅の「さく」に切りそろえる(図1.1)。マグロ工場内は10~15℃に設定され,すばやい作業でマグロが緩むのを防ぐ。作業者は防寒着・防寒帽と厚手の手袋は離せない。
ここでは製材・木工の工場をすっぽり冷蔵庫のなかに収めたようなもので,ガラスを切っていくようなシャーンという電動鋸(のこ)の音が室内に響く。「さく」に加工された冷凍マグロは販売店まで-50℃の保冷車で輸送される。当日朝,店ではサクを-5℃付近まで解凍して白い発泡スチロールのトレーに載せ,ラップしてショウケースに並べる。冷凍マグロの大部分はこのように解体加工されて流通する。

マグロの品質
 さしみ用マグロ肉の品質は第一に「脂の乗り」で評価される。脂の乗りは種類,年齢,季節や海域によって異なるが,冬場津軽海峡で釣り揚げられる大型のクロマグロなら間違いなく脂肪分が27~30%の「大トロ」がたっぷりとれる。メバチ,ビンナガの平均脂肪率は0.7~1.2%とクロマグロの1.4%に比べ少ないが,ビンナガでは脂の乗った部分をビントロとして刺身にする。キハダは0.4%とより少なくあっさしている。
次に「色調」が評価される。最も濃い赤色をしているのがクロマグロ,タイセイヨウクロマグロ,次いでミナミマグロであり,次いでメバチが赤く,キハダは赤というよりはピンクである。メバチは価格的にも手ごろなため,量販店における主力刺身商材となっている。
主なマグロの種類と特徴を表1.1に示した。なお,スズキ目のメカジキ科およびマカジキ科に属するクロカジキ,シロカジキ,バショウカジキなどカジキ類は,スズキ目サバ科マグロ属とは分類を異にする。

表1.1 主なマグロ属の棲息海域と肉質
魚種 生息海域 肉質と用途
クロマグロ 太平洋の熱帯・温帯海域 濃い赤色で脂肪も多く、生食用として最高級種
大西洋クロマグロ 地中海、黒海、大西洋の熱帯・温帯海域 クロマグロの近縁種で高級種
ミナミマグロ 南半球の亜熱帯・温帯海域 暗赤色で脂身が多く、クロマグロに次ぐ高級種
メバチ 熱帯・温帯海域 赤色で脂身は少ないが、生食用として主要種
キハダ 熱帯・温帯海域 淡紅色で脂肪は少ない。生食・缶詰(ライトミート)用
ビンナガ 熱帯・亜熱帯海域 淡紅色で脂肪は少ない。生食・缶詰(ライトミート)用

マグロのセリ
 夜明け前の市場には,マグロが所狭しと番号が付けられ並べられる。仲買人は懐中電灯で尾部の切り口を照らし,予め肉質を見て回る。目利き達は何を見ているのだろうか。
第一はやはり「脂の乗り」という。指先で肉表面に触れ,脂の付着度を確認し,また断面全体をみて再確認する。やはりマグロの値段はトロがどれほどとれるかによって左右される。第二は「色調」。色が鮮やかかそれともくすんでいるか。同じクロマグロでも海域や季節によって色目も異なる。
第三は「鮮度」という。冷凍マグロなら「解凍収縮」する力が残っているかを,断面の「筋節」の盛り上がりや「縮れ」具合から判定する。縮れも見られず,粘り気もなく水っぽい筋肉は鮮度が今一つなどと判断する。しかも魚体の上下,左右ごとそれぞれに評価するというから驚きだ。また,「うっ血」や「血滲み」がないか,「寄生虫」が寄生していないかも見分ける。
築地ツアーの観光客は,ズラーッと並んだマグロの列と,威勢の良い「セリ声」にばかり目が向くが,セリ本来の目的である価格決定は,このような事前の厳しいプロの目によって支えられている。

3.マグロの赤い色
赤色タンパク質ミオグロビン
魚種による肉色の違いは,筋肉の色素タンパク質「ミオグロビン」が多いか少ないかによって決まる。鯨肉や馬肉にも多量含まれ,赤色というよりはむしろ深紅に見える。翻ってタラの肉にはミオグロビンが極めて少ない。
血色素ヘモグロビンと比べ,ミオグロビンは筋肉組織末端の低酸素域で酸素を放出できる能力に優れている。高速で泳ぎ続けるマグロ,長時間潜水するマッコウクジラ,疾走し続けるサラブレット。筋肉が低酸素状態でもよく働き,摂食活動や逃避行動が可能なように,彼らは十分量のミオグロビンを蓄えている。鉄分子を含むこの機能性筋肉タンパク質ミオグロビンを,我々は貴重な海の恵みとして多くをマグロやカツオから得ている。

マグロ肉の褐変
 十分に酸素と結び付いた「ミオグロビン」は「オキシミオグロビン」といわれる。あの真っ赤な色がそうだ。しかし,暴れ回ったマグロ筋肉の内部は,酸素不足になっていて暗い赤紫色を示す。新鮮なマグロ肉の内部もやや不足気味である。これを空気にしばらく触れさせると,表面から徐々に真っ赤に変わっていくのはこんな理由なのだ。
しかし,真っ赤な肉も時間とともに徐々に鮮やかさを失い黒ずみ,やがて褐色になってしまう。酸素としっかり化合した酸化型のミオグロビン,すなわち「メトミオグロビン」に変化したためである。いったん「酸化」すると元の鮮紅色に戻らない(図1.2)。夕食で残ったマグロ肉を冷蔵庫に保管すると翌朝には褐色に変わっている。

4.マグロ鮮度のバラつき
鮮度差の発生
市販マグロは牛肉などに比べると鮮度のバラツキが多い。なぜだろう。刺身用マグロの漁獲は主に釣りの一種,「はえ縄漁」に頼っている。50mおきに釣り針に餌を付けた長さ40mの枝縄を,全長120~150kmにも及ぶ幹縄に結わえ,4~5時間のうちに船尾から繰り出していく。3~4時間休憩した後,9~12時間掛けて幹縄を引揚げていく。2,500~3,000本の針におおよそ10~20尾ほどのマグロが掛かるという。水揚げされたマグロは鰓・内臓を除き手早く-55~-60℃の船内フリーザーで凍らせてしまう。一日15時間にも及ぶ作業を毎日繰り返す。
縄を繰り出してすぐに掛かるマグロもいる。それらは海中で長時間もがき,水揚げされるまでにぐったりする。一方,縄揚げ中に掛かってくるすごく元気なマグロもいる。それらはまだ生きているうちに即刻,内臓が外され凍結されることになる。
つまり最大15時間の時差が発生することに鮮度バラつきの原因がある。もがき苦しんだマグロは体内のエネルギーを使い果たし,筋肉には多量の疲労物質「乳酸」が残される。そうすると,筋肉のpHが下がって酸性側に傾く。

疲弊したマグロ
「ミオグロビン」が褐色の「メトミオグロビン」に変化する酸化反応は,筋肉の「pH」によって影響される。pH6.5付近まででならミオグロビンも安定しているが,6.0そして5.5へと低下するに従って酸化の速度は数倍も速くなる。つまり,疲れて水揚げされたマグロ肉は既にpH6.0以下に下がっているので,いくら急速冷凍しても元のマグロ肉に戻ることは難しい。このようなマグロ肉を「解凍」するとすぐに色変わりしてしまう。
色ばかりではない。こんな解凍マグロを購入すると,液汁がどんどん出てきて白い発泡スチロールのトレーに赤黒く溜まり,マグロ特有のねっとりした食感も失われ,スカスカして味が抜けている。pHが低くなると,筋肉タンパク質が変性して,水をしっかり抱え込む能力が落ちるためだ。
それが近年,「はえ縄漁」以外に「まき網漁」で捕獲されるマグロが1/4を占めるようになった。数時間で効率よく群れを旋(ま)き,獲ってしまうので鮮度のバラつきは少なくなった半面,とびきり高鮮度品もなくなった。

pHによる鮮度の格付け
 マグロ工場の職人が長年の経験でSA,A,B,Cなどと鮮度等級付けした結果とマグロ肉の「pH」との間には高い相関関係があり,pH6.2以上なら高鮮度,5.9~6.1なら普通,5.8以下なら鮮度不良などと判定できる(図1-3)。
生きて水揚げされたマグロはもちろんpH6.5以上あり,それを解凍してもねっとりと美味しく,色の持ちがよいことは言うまでもない。生マグロでも同じこと。pHメーターがあれば測定は簡単だ。凍結している尾肉から木工用ドリルで肉粉10gほど採取し,これに蒸留水90mL加えかき混ぜ,濾紙濾過液のpHを測ればよい。

5.冷凍マグロの解凍
高鮮度品
冷凍マグロをおいしく食べるには,鮮度がどのランクに相当するか見極めたうえで解凍することがポイントになる。高鮮度のSA級品はほとんど生きたまま凍結されるので,高エネルギー物質ATP(アデノシン-3-リン酸)が多量筋肉中に閉じ込められたままになっている。
これを急いで解凍すると,-5~-2℃付近でATPが筋肉を動かしマグロのサクをギュッと「解凍収縮」させるため,ドリップとともに旨み成分が抜けてしまう。すなわちpHの高い冷凍マグロはこの温度帯をじわじわ上昇させ,ATPを少しずつ分解させて肉が収縮するのを防ぐ必要がある。
実際,高級すし店では『うちではSA級マグロは表面が乾かないように濡れ布巾で包み,冷蔵室で一晩じっくり緩慢解凍させる』というように,生マグロに近い食感を再現するノウハウを持っている。もちろんpHが高いので,少しぐらい時間が掛かっても色変わりすることがない。

低鮮度品
 これとは反対に,鮮度のやや落ちるB級冷凍マグロでは,肉中のATPが海中でほとんど使い果たされ,解凍中にサクを収縮させるエネルギーも残っていない。急いで解凍しても解凍収縮を起こす心配がない。そのうえ,筋肉のpHが6.0以下と低くなっているから,ゆっくり解凍するとミオグロビンの酸化も進みやすく,急速に色が黒ずんでくる。B級品はむしろ「急速解凍」して早めに食べてしまうことがお勧めだ。

低鮮度マグロの改質
 しかし,考えてもみれば高いコストを掛けて漁獲した冷凍マグロのB級品がSA品の半値というのも,漁業者側からすれば悔しい。消費者も同じ思いで,スカスカしたB級品のさしみにはもう手を出したくない。
B級マグロを色変わりさせず美味しく食べる解凍技術はないものか。マグロの鮮度差の原因を突き詰めると答えは見えてくる。完全解凍する前に,タンパク質を変性させる悪者「乳酸」を中和してpHを中性に戻し,かつ酸素不足に陥っているミオグロビンを積極的に酸素化してしまうことにヒントがある。

6.マグロの栄養成分
マグロ油の健康成分
クロマグロの「中トロ」と「牛サーロイン」両者の脂質について比べると,最も著しい違いは,マグロ油を構成する「脂肪(しぼう)酸(さん)」の種類が実に多く,主な種類だけでも10種類を数えることだ。それに対して,牛脂といったら僅かにオレイン酸,パルミチン酸など5種類に過ぎない。しかもマグロ油には海産魚特有の脂肪酸「DHA」が15%,「EPA」が10%も含まれていることである。魚油に多く含まれるEPAやDHAは「n-3系脂肪酸」といわれるのに対し,牛脂やオリーブ油,ゴマ油の脂肪酸は「n-6系脂肪酸」である(第5章 図5.2)。
n-3とn-6脂肪酸ともにヒトの体内でそれぞれ消化され,異なる代謝物「エイコサノイド」が生成される。n-6由来とは拮抗的に,n-3由来のエイコサノイドには血液の血小板(けっしょうばん)凝集抑制,血管拡張,血液粘度低下などの薬理作用を示すことから,「医薬品」として認可された。
「DHA」は人間の脳内に多い成分で,学習効果に関与することが知られている。またEPAと同様,血栓防止など「循環器系疾患」の予防や血液の「中性脂肪」低減に有効な物質として,「特定保健用食品」に認可されている。DHAを含むマグロ油は近年サプリメントとして販売されるようになった。また,国連食品規格委員会は,育児用の粉ミルクには母乳成分であり乳児に不可欠なアラキドン酸とともに,DHAをバランスよく配合することを勧告している。
栄養学の立場から,日常の食事においても両者の比が重要視され,畜肉に多いn-6脂肪酸が摂取過多にならず,心筋梗塞(こうそく)など心疾患を予防するためにも,「n-6/n-3比」は4以下が推奨されている5)

マグロ肉のタンパク質
 また,マグロ肉のタンパク質の栄養価を必須アミノ酸の「アミノ酸スコア」によって評価すると,マグロ肉はリジンを豊富に含む一方,含量の最も少ないトリプトファンでもぎりぎりではあるが規準値を超えている。従って,マグロには基準値を下回る「制限アミノ酸」が見当たらない。それによりマグロ肉タンパク質のアミノ酸スコアは100と計算され,栄養的には完全なタンパク質食品と評価される。
小麦やコメではリジンが制限アミノ酸となっていてその評価は低い一方,トリプトファンは豊富である。これとは反対に畜肉や魚肉では,トリプトファンが少ないもののリジンが多い。旧来からの「米飯」と「魚肉」,「パン」と「畜肉」などの食事の組み合わせには,この点から栄養学的にも大きな意味があることを示している。

7.マグロと水銀
水銀の蓄積
栄養価に優れたマグロだが,ただひとつ食品としての懸念は,マグロと「水銀」との関係である。食物連鎖の頂点に立つマグロやサメ,クジラ・イルカなどの大型動物は,海水に含まれる重金属や天然水銀由来のメチル水銀を体内に蓄積しやすい。
これら生物が地球上に出現して以来,この海洋環境のもとで彼ら自身が水銀中毒に罹らずに排泄(はいせつ)機能または無毒化機能を獲得し,生きながらえ現在に至っている。水銀に適応出来なかったならばとうに絶滅していることであろう。
翻ってそれを食するヒトはどうか。祖先がマグロ類を食べ始めて以来,その連綿とした食体験の結果として,何ごともなく安心して食べることができる今がある。

胎児への影響
 2005年8月「内閣府食品安全委員会」における水銀の安全性の審議を受けて厚生労働省は,「妊婦にとってキンメダイ,メカジキ,クロマグロ,メバチは一食約80gとして週に1回まで,キダイ,マカジキ,ミナミマグロは週2回までが摂食の目安」であるとした。
海外における疫学研究をもとに審議した結果,「胎児」の中枢神経の伝達速度が若干遅れることが懸念されるとして,妊婦が摂取する耐容量はメチル水銀として2.0μg/体重1kg/週が適切と判断したのだ6)。わが国における過去10年間の推定水銀摂取量は8.4μg/人/日であり,妊婦体重50kgとすると1.2μg/kg/週の摂取が見込まれる。しかし,この基準値は安全委員会の示す耐容量2.0μgの約60%程度なので,『直ちに食べるのを控えなければいけない』ということにはならない。乳幼児や成人では,生理的な排出機能が発達するため,健康への影響は懸念されないことはもちろんである。

水銀とセレン
 そして,マグロ水銀問題が報道されるたびに同時にコメントされることだが,『メチル水銀は,同じくマグロの体内に蓄積したセレン化合物によりその毒性が軽減される』ことは1970年以来よく知られている。
マグロ肉には,彼らにとってもまた我われにとっても必要な必須微量元素セレンを含む「セレノネイン」の存在が近年明らかになった。セレノネインは生体抗酸化・老化防止作用に加え,メチル水銀と結び付き毒性の軽減に寄与していることが認められている7)

参考文献
 1) 谷内・中坊ら編:「魚の科学事典」9.2鮓から刺身へ(神崎宣武)pp.488-   495,朝倉書店(2005)
2)尾藤方通:東海区水産研究所報告,84,51-113(1976)
3)近畿大学ホームページ(2007)
4)カネトモwww.kanetomo.com (2010)
5) 食品成分研究調査会:「五訂日本食品成分表」p.452-465,医歯薬出版(2001)
6) 農林水産省ホームページ;「消費安全,食品安全」(魚介類)(2010)
7) 山下由美子:「研究の動き」8. セレノネインp.10,中央水産研究所(2010)

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